新世紀エヴァンゲリオンに登場する巨大人型兵器
人造人間エヴァンゲリオン
基本的に各機体を操縦できるパイロットは限定されており、その理由はエヴァのコアによります。
コアにはパイロットの母親の魂が封入されており、母と子の関係性を媒介にエヴァとシンクロすることが可能なためです。
つまり、初号機にはシンジの母親の魂が封入存在するだけ、アスカが乗ったとしてもエヴァとのシンクロはできない、と言った具合になります。
しかしその条件には例外が3つあります。
- 初号機とレイがシンクロできる。
- 零号機とシンジがシンクロできる。
- 弐号機とカヲルがシンクロできる。
今回は1と2の初号機とレイ、零号機とシンジがシンクロできる理由について考察します。
なお、設定はアニメや漫画、旧劇場版に準拠します。
初号機とレイ、零号機とシンジのシンクロ
アニメではレイが初号機を操作するシーンは描かれませんが、複数回に渡ってレイが初号機とシンクロできることが示唆されています。
まず、ラミエル戦では怖気付いてしまったシンジに対して「初号機には私が乗る」とレイが言い放つシーンがあります。つまり、その気になれば初号機を操縦できることをレイは知っているということです。
次にシンジが零号機、レイが初号機とシンクロする互換テストが実施されます。この際にはシンジも零号機とシンクロすることが可能である描写がされます。
なお、この際にアスカと弐号機はこのテストに参加せず、シンジもレイも弐号機とシンクロできず、アスカも弐号機以外とシンクロできないことが示唆されます。
最後にゼルエル戦においてゲンドウに反旗を翻してNERVを去ったシンジの代わりにレイが初号機に乗って出撃しようとします。この時点で零号機は修復が完了していないためでした。
エントリーを始めますが起動前にシンクログラフが反転、初号機はレイとのシンクロを拒否しました。また、レイのパーソナルパターンを元にしたダミープラグでの起動にも失敗する状況になります。
また、漫画版の第一話でサキエルが襲来した際にレイの操縦により初号機が出撃しており、シンジがミサトと合流してNERVへ向かう手助けをしています。
なぜレイは初号機とシンクロできたのか
これは初号機のコア(碇ユイ)とレイの関係性によるものと考えられます。
綾波レイは碇ユイのクローンであることは周知のことでしょう。つまり身体的(遺伝子的)に碇ユイと綾波レイは完全に同一の存在といえます。
さらに初期の綾波レイには自我が殆どありませんでした。ユイの肉体に空っぽの魂といった具合の存在です。
そして初号機のコアには碇ユイの魂があります。
つまり、レイは碇ユイに非常に近い存在のためシンクロが可能だったという仮説です。
「あー、なんか魂と身体が一致してるっぽいからシンクロしておくか」みたいな感じです。
それでも魂的には別人であることに変わりはないので、かろうじてシンクロできる程度にとどまり、シンジよりもシンクロ率が低いことが伺えます。
ゼルエル戦において初号機がレイとのシンクロを拒否したのは、シンジや他の人物たちとの交流を深める中で自我を強固にしたレイが、もはやユイとは完全に異なる存在に変質したことを示唆しているのだと考えられます。
つまり、実施はされなかったものの「3人目」と初号機はシンクロできた可能性があります。
なぜシンジは零号機とシンクロできたのか
旧劇場版において、零号機のコアには誰の魂も入っていないと設定されていました。普通に考えれば誰もシンクロできないはずです。パイロットとエヴァを媒介する魂がないためです。
しかし、どういう理由かレイは零号機とシンクロが可能でした。魂がなければ誰とでもシンクロできるのかというと、上述の通りアスカは零号機とシンクロすることはできません。つまり、人を選ぶということです。
では何かしらの理由でレイの個人的な情報が零号機とシンクロできるものとしましょう。実際そうですし。
そんな零号機とシンジがシンクロできる理由が一つ考えられます。
それは、遺伝子情報的にはレイとシンジは親子関係にあたるということです。
エヴァとシンクロするためには親子関係であることが必要要素の一つとなります。つまり、魂はもちろん肉体的な関係も無視できない要素なのだと考えられます。
「あー、なんか肉体的な情報が非常に近いからシンクロしておくか」みたいな感じです。
とはいえ、やはりレイとシンジは別人なわけですからシンクロ率が低く、稼働させることは出来るもののシンジは初号機をメインの搭乗機として割り当てられているのでしょう。
まとめ
エヴァンゲリオンとパイロットのシンクロとは、作中で何度も、それこそ当然の用語のように登場するため「そういうものか」といった感覚で視聴していました。
しかし、いざ考えてみると様々な考察ができて楽しいものです。
エヴァンゲリオンは謎を意図的に散りばめることで視聴者に考察させる作品だと思います。
仮に公式設定と違っていたとしても「公式が勝手に言ってることじゃん」といった開き直りを持って考察をするのも楽しみ方として合っているような気がします。
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